工場のリアル、先に言っておく 製造業に入る前に知っておきたいことを、中の人が書く

働き方と転職 2026-07-10

工場を辞めたいのは甘えか。35年辞めなかった人間の答え

甘えではないと思います。これは、35年間一度も辞めなかった人間の答えです。「辞めない側」の代表みたいな私がそう言うのだから、少しは信じてもらえるんじゃないでしょうか。

私は1989年に自動車部品メーカーへ入社し、試作課に35年います。辞めたいと検索しているあなたに向けて、辞める発想すらなかった私の時代の話、35年で辞めていった人たちの実例、そして今の私の考えを書きます。

私には「辞める」という発想がなかった

正直に言うと、私は会社を辞めたいと思ったことがありません。思わなかったというより、発想そのものがなかったんです。一度入ったら定年までやるもの。私たちの世代はそう思って入社しました。

当時は、転職は良くないことのような風潮がありました。転職=また一からやり直し、給料も下がる。そういうイメージです。だから「辞めたい」と口にすること自体が、後ろめたいことでした。あなたが今感じている「甘えかな」という後ろめたさは、たぶんこの時代の物差しの名残です。

ひとつ白状すると、会社は辞めたくなかったですが、職制(現場の管理職)は辞めたいと思っていました。その話は昇進試験を断ったらどうなったかに書いています。

それでも、辞めていく人はいた

私が入ったころの工場は本当に忙しくて、毎日4時間残業に土曜出勤が当たり前でした。給料は良かったですが、忙しすぎて使う時がないくらいです。その忙しさに耐えられず辞める人は、何人かいました。

地方から出てきた人が、地元に帰るために辞めるケースも結構ありました。仕事が嫌というより、生活の拠点の問題です。親の介護で辞めた人もいます。辞める理由は、甘えなんて一言で片づけられないほどいろいろでした。

35年見てきて、「壊れてから辞める」だけは避けてほしい

辞めていった人を思い返すと、正直、いい印象の辞め方より悪い印象のほうが多く残っています。借金を作って逃げるように消えた人。メンタルをやられてしまった人。

特にメンタルの人を見て思うのは、限界まで我慢してから辞めるのは、一番もったいないということです。壊れてからでは、次の仕事を探す力も残っていません。「甘えかどうか」を自分に問い詰めて我慢を重ねるのは、そこに向かう歩き方になってしまいます。

飲食店を開くために辞めた人もいました。夢のある辞め方に見えましたが、あの厳しい世界で、正直「後悔しそうだな」と思って見送りました。辞めること自体より、辞めた先の見通しがあるかどうか。差が出るのはそこです。

「辞める=逃げ」は昔の物差しだった

では今の私がどう考えているか。「嫌だな」「合わないな」と思ったら、すぐ転職するのはアリだと思っています。昔だったら逃げと言われた行動です。でも考えが変わりました。

理由は単純で、いろいろやってみて、自分に合う仕事を見つけたほうがいいからです。私はたまたま一発目で「ものづくり」という合う仕事に当たりました。だから35年続いた。合わない仕事に当たっていたら、続いていなかったと思います。合う仕事に出会えるかは、正直、運です。運が悪かったなら引き直せばいい。

仕事内容は好きなのに人間関係だけが限界、というケースは別の考え方が要ります。その話は自動車部品メーカーはきつい?正社員は割に合うのかの「割に合う人、合わない人」に書きました。

若手に相談されたら「いいんじゃない!」と答える

もし若手に「辞めたいんですけど」と相談されたら、私はこう答えます。「いいんじゃない!人生長いんだから、自分に合う仕事見つけて!」

強がりでも投げやりでもありません。終身雇用はこの先なくなっていくと思いますし、雇用は仕事の中身で人を採るジョブ型に変わってきています。会社にしがみつくより、自分にスキルをつけていかないと生き残れない時代です。35年同じ会社にいた人間が言うのも変な話ですが、だからこそ、時代が変わったことは私が一番実感しています。

辞めたいと思っているあなたへ。それは甘えではありません。ただし、壊れるまで我慢するのだけはやめてください。動く力が残っているうちに、外の選択肢を見る。比べた結果「今の会社も悪くない」と思えたら、それはそれで儲けものです。

筆者:工業高校卒業後、1989年に自動車部品メーカーへ入社。1年間の企業内学園を経て試作課へ配属。以来、試作品の組み付けから性能測定までを担当。班長を経験したのち、管理職の道ではなくものづくりの現場に残ることを選んだ。 この記事は個人の経験にもとづくものであり、所属企業の見解ではありません。記載の内容は筆者の勤務先での一例です。 詳しくは書いている人へ。