工場勤務は危ないか。35年でしたケガと、会社の安全対策を全部書く
35年工場で働いて、ケガらしいケガは一度だけです。20代のとき、旋盤で手を切りました。
自動車部品メーカーの試作課で35年やっている現役社員です。工場は危ないのかと不安な人に、自分のケガと、会社が何をしているかを全部書きます。
35年で、ケガらしいケガは一度だけ
20代のころ、旋盤で作業をしていて、バイト(刃物のこと)で手を切りました。医務室に行って手当てをしてもらい、それで済んでいます。
35年で、自分のケガはこれだけです。骨を折ったことも、入院したこともありません。
不安をあおる書き方はしたくないので、先に数字で言っておきます。1回。それが35年間の実績です。
安全扉を閉めずに溶接した先輩は、翌日、目が真っ赤になった
周りで見た中で、一番印象に残っているのはこれです。
先輩がレーザー溶接をしていたとき、安全扉を閉めずに作業していました。その場では何ともありません。異変が出たのは翌日です。目が真っ赤になって、病院に行くことになりました。
レーザーの光は、その場で痛みを感じません。後から効いてきます。だから「今日は大丈夫だった」が通用しない。
安全扉は、閉めるのが面倒な装置です。開けたままのほうが早く終わります。それでも扉がついているのは、こういうことが起きるからです。
今の現場に、怖い作業はほとんどない
正直に書きます。今の試作課に、「これは怖い」と思いながらやる作業はほとんどありません。
危ないところには扉やカバーがつき、手を入れたら止まるようになっています。保護具も会社から支給されます。安全靴、保護メガネ、必要なら手袋。自腹で買うものではありません。
入る前に一番心配されるのがここだと思いますが、身構えるほどではないというのが35年やった実感です。ただし、それは勝手にそうなったわけではありません。次に書く仕組みがあってのことです。
会社がやっている安全対策を、全部並べます
思いつくものを並べます。これだけのことを毎年続けています。
- 毎日の朝礼で、交代で安全唱和(安全の決まりごとを声に出して読み上げる)
- 月1回のKYT(危険予知訓練)。現場の危ない作業を写真に撮り、それを見ながら話し合う
- 年4回の安全教育。高圧ガスや危険物を扱うような、重大事故につながる作業が対象
- 年2回、ヒヤリハット事例を書く。ケガに至らなかった「危なかった話」を文章にして出す
- リスクアセスメントシート。職制(現場の管理職)が作業の危険度をまとめ、上司と作業者に説明して話し合う
- 大型連休の前の点検。部長と課長が現場を回り、その場で指摘する
- 災害速報の共有。どこかで事故が起きたら速報が出て、朝礼で全員に伝わる
正直なところ、面倒だと思うものもあります。ヒヤリハットを年2回書くのは手間です。それでも35年でケガが1回で済んでいるのは、この積み重ねのおかげだと思っています。
ケガをしたら何が起きるか。災害速報が全社に飛ぶ
実際にケガが出たときの流れも書いておきます。
まず、必要ならすぐ病院に連れていかれます。本人の判断で我慢する、ということにはなりません。
その後、労災の申請をします。治療費は自分で払うものではありません。
それと並行して、課長が災害速報を作ります。何が起きて、なぜ起きたのかをまとめた文書です。これがメールで全社に流れ、他の部署の朝礼でも共有されます。
隠す方向には動きません。むしろ逆で、起きたことは全社に知らせるのが決まりです。同じことを他でやらせないためです。
これから工場に入る人へ
工場は危ないかと聞かれたら、思っているほどではないと答えます。35年でケガは1回、入院はゼロです。
ただし、安全なのは運が良かったからではありません。毎日の唱和も、月1回のKYTも、面倒なヒヤリハットも、全部そのためにあります。決まりを守っていれば、まず大丈夫です。
逆に言えば、守らなければ先輩のようになります。安全扉を閉めるだけのことでした。それをしなかった1回で、翌日に病院です。
見学や面接に行く機会があれば、保護具が支給されるか、朝礼で安全の時間があるかを聞いてみてください。答えられる会社は、たいてい中もまともです。
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